ブログ始めます。

ブログ始めます。

 

読み物が好きで元々興味のあったブログ。

 

親が物書きで、人気もあったから憧れだったブログ。

 

 

いざ始めると何書いていいかわからない、つまらん見にくいって言われそうで怖い…

 

正直無理かもって思ってる。そもそもなんで始めたんだ?

 

 

まぁなんとかなるでしょう!なるよな?

 

思ったまま書くのが大事らしいし。

 

まじで考えまとまらないけど書きます。最悪消せばノーカン。

 

 

これからは「縄文時代」×「メタバース」の時代だ!

これからは縄文時代」×「メタバースの時代だ!

 

という話をしたいと思う。

 

まず始めに、私は縄文時代の専門家ではないし、メタバースの関係者でもない。

 

それを前提に素人の1アイデアとして聞いてもらいたい。

 

さて、皆さんは縄文時代と聞いてどういうイメージを持つだろうか?

 

非文明的、粗雑、苦労の多い時代との印象をお持ちの方も多いだろう。

 

しかし、実際は一日の労働時間は4時間で、余暇を用いて土器や装飾品を作り、交易や簡易の農業もしていたのではないかと近年言われている。

 

それに対し次の時代の弥生時代戦争や疫病、栄養の偏りや重労働など、負の側面も強かったと評価されている。

 

要は思ったより縄文時代は豊かで余裕があったということだ。

 

念の為言うと、ここで取り上げたいのは実際の縄文時代の暮らし方ではない

 

今回の題名は縄文時代×メタバース

 

メタバース時代において必要な能力、価値観はなんだろうか。

 

それを縄文時代の生活から学べるはず、と私は思っている。

 

これはどういうことか。

 

一般に人間は衣食住が無いと生きられないと言われる。

 

現代社会においては、生命維持だけでなく、人生を楽しむためにも衣食住をより充実させようとしている。

 

しかし、もし近未来においてメタバース的生活をするとどうなるか。

 

表にしてみると、

 

   今までの世界

衣  豪華な服

食  豪華な食事

住  豪華な家

 

 

   未来の世界   +   メタバース

衣  最低限の布        電子

食  最低限の栄養       電子

住  最低限の空間       電子

 

ということになる。

 

これは即ち、衣食住に必要な労働量が最低限のレベルまで落とせる。

 

ということなのだ。

 

これならば一日四時間労働で生活できるかもしれない。(物価は考慮しない)

 

生命維持+幸せな生活のために必要な労働量が少ない。

 

この点において、縄文時代メタバース時代は同じ特徴を持っているのだ。

 

これは喜ばしいことであると同時に、20時間の余暇をどう使うかというミッションでもある。

 

我々は「大いなる暇」時代に突入するのだ。

 

やれ、仮想通貨でメタバース上取引ができます!とかNFTアートで唯一の絵画を!とかアコギにビジネスをやっている場合では無いのである。

 

縄文時代のように装飾品を作るもよし、宗教的な建築をするもよし、今まで「無駄」とされてきたことに一日の大半を使う時代が来るのだ。

 

ぜひ皆さんも暇をどう楽しむのか真面目に考えていただきたい。 

 

 

 

「コオロギ」で騒ぐ陰謀論者は馬鹿

目を覚ませ!

 

twitterでは連日コオロギ!コオロギ!でお祭り騒ぎだね。

 

まさかあんなの本気にしてるの?

 

昔から食のことになるとパニックになる民族だから仕方ないけどさ。

 

昆虫食、陰謀論に精通した私が本当のことを教えてあげるよ。

 

まず、昆虫食が必要な理由。

 

食料危機!というのは馬鹿向けのキャンペーンだよ。

 

だって食料が高くなっても先進国の日本人は高値で買えるじゃん。

 

困るのは貧乏国家と貧乏人だけ。

 

じゃあ、なんで必要なのか。

 

もっと簡単な話だよ。ただのビジネスさ。

 

癒着?補助金?中抜き?

 

それ典型的な極左陰謀論者だからね。反ワクチン族レベル笑

 

もっと話は簡単。

 

昆虫を粉末にしてカプセルかなんかに入れてビタミン混ぜて、一日の栄養これ一つで!って商品が作りたい。

 

ただそれだけのこと。

 

それを政府が昆虫は美味しいんだ!とか食料危機だ!とか調子乗った宣伝したから、反感買って陰謀論者が騒ぎ出しただけ。

 

一般市民はパニックになって陰謀論を鵜呑みにしてるけど笑

 

そもそもさ、粉末にしなきゃ輸送コストで赤字だよ?宣伝担当、まるごと一匹スイーツに載せてる場合じゃないって。

 

同様に、粉末にされたら何に入れられてるかわからない!って言う奴も馬鹿かな?って思う。

 

見えなきゃ食べるくせに。実際カニカマとか口紅の赤色は寄生虫だよ?

 

昆虫食の歴史はない!とかアホだよ。今食べてるじゃん。

 

これで大体決着。あとは陰謀論に個別対応するよ。

 

Q 最近急にコオロギ押し出したのが怪しい

A そりゃ各企業がコオロギ売っても売れるわけないだろ。ブームを演出するのは当然。企業側が新商品合わせるのなんていくらでもあるよ。マリトッツォとかね。

 

Q コオロギより食品ロスと農家、酪農家を支援しろ!

A 馬鹿かな???なんで万年赤字産業を支援するんだよ。円安とかで一時的に危ないところを支えるならいいけどさ。補助金って倒産をさせないためじゃなくて、未来への投資に使うものだからね?新しい商品の開発に使うのは当然だよ。

 

Q コオロギには好気性細菌が含まれる。

A 大体の動物に含まれます。

 

Q 加熱処理後も芽胞形成菌の生存が確認される。

A 大くの食品はそうです。レトルト食品レベルの加熱で死ぬらしい。

 

Q アレルギーが出る

A ならエビカニも食うな。

 

Q コオロギを食べている歴史がない。経験則で危険があると分かったからでは?

A ならヨーロッパでタコが嫌われるのはタコに毒があるからかな?インドで牛を食べないのは牛に毒があるからかな?宗教や見た目でいくらでも食文化は作られます。あと、野生のコオロギは捕まえにくいです。イナゴは農作物荒らすのでその対策で食べた説もある。

 

 

 

 

 

 

 

 

Z世代は勉強する意味ない

この記事は「年商20億イケメン社長が語る。勉強は意味ない

 

の続きである。が、前編を見なくても微塵も問題はない

 

 

というわけで、学校勉強が無意味化している理由を考察していく。

 

 

最初にするのは、学校勉強の定義付けだ。

 

私は学校勉強とは画一的で、学問的な学習なのではないかと考える。

 

ここで言う学問的とは、未知のものを知ろうとして、論理を積み上げていく特性を持つものと考える。

 

 

次に、現在の社会で求められる能力を考えていく。

 

そもそも求められる能力とはなんだろうか?

 

それは問題解決に必要な要素である。

 

では、現代社会の最大問題とはなんだろうか。

 

それは大きく、環境問題と差別問題と捉えられるだろう。まずは環境問題だ。

 

21世紀に入り、人類は地球上のほぼすべてのリソースを使えるようになった。

 

しかし、それは即ちこれ以上拡大の余地がないことを表す。

 

ここから言えるのは、今あるものを新しい側面から使う能力が必要だと言うことだ。

 

差別問題も取り上げよう。

 

まず差別とは何か、それはグループの特性で個人の特性を予測することだ。

 

例えば

日本人は静かな人が多い→田中くんは静か

女性は筋力が弱い人が多い→吉田沙保里は弱い

 

このようにグループの例外を無視して個人を予想することが差別と言える。

 

これを解決する能力とはつまり、偏見を持たず、新しい人材(リソース)を発掘する能力といえる。

 

 

つまり、現代社会に求められる能力とは、既にある物への再利用力、多面的な思考力である。

 

これに対し、現在の学校勉強は画一的で一面的だ。

 

いかに賢かろうと、高度な計算だろうと、それをぶつける相手はもう地球にないのである。

 

このような理由から、Z世代は学校勉強をしている場合ではない

 

私は決して努力を否定する訳では無いが、その方向性には気を付ける必要があるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年商20億イケメン社長が語る。勉強は意味ない。

という話がしたい。

 

私がこのお題で書こうと思ったきっかけはこの人の影響だ。

 

youtuber  keiチャンネル/犬飼京

チャンネル登録者30万人(2023年2月)

 

彼は25歳にして多くのsnsで支持を集めるファッション系インフルエンサーで、年商20億のアパレル系会社の社長だ。そしてイケメン。

 

勿論だが、彼が絶対的に正しく、勉強に一切の意味がない訳では無い。

 

だが、彼の経験談は学生たちに学校勉強の意味を再考させる一助になるだろう。

 

なるべく誤解のないように、彼のエピソードを紹介しよう。

参考動画の「気づけ!!!」を是非見てほしい

 

彼は学生時代、勉強が得意な子どもではなかった。見栄のために、工業系の大学に入った。しかし、自分の興味のない分野だったこともあり、なんのために大学に行っているのか悩む。そんなとき、他のファッション系インフルエンサーの存在を知る。自分のやるべきことはこちらだと気づき、発信活動に打ち込む。

 

結果として彼は、動画内でも「勉強が好きな人でなければ勉強の意味はない」と言っている。

 

この話を聞いてどう思っただろうか。

 

  • この人みたいにやることが明確じゃない一般人は勉強するべき。
  • 結果論であり、失敗するリスクを考えたら普通に大学に行くべき。
  • 今に限らず昔からそうゆうことを言う若者はいる。

 

こうゆうことを思っただろう。むしろ思わなかったら心配だ。

 

とくに2つ目の意見は大切だ。一人のエピソードで結論を出すのは愚かだろう。

 

しかし、youtubeオタクの私に言わせれば、彼に限らず最近の起業家の考えは変わった。

 

彼らは本気で学校勉強を見限っている。

 

その社会的理由を考察していきたい。

 

次回「Z世代は勉強する意味ない」に続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

vtuberオタクに罪は無い。

まず前提として言おう、

 

私はvtuberオタクである。

そしてそれを恥じている。

 

なので本文は、自己肯定を目的とした内容である。

これは許していただきたい。

 

一方で、私はとある風潮に不満があるのだ。

 

それはvtuberに彼氏彼女がいたとき、発狂するのはおかしい 

 

という風潮である。

 

は?おかしいに決まってるだろ?キモオタがよぉ

 

とお思いの方もいるだろう。

 

だがそれは本当だろうか?

今回それを分かりやすく布教する方法を思いついたのでお伝えする。

 

唐突だが、皆さんペットを飼ったことはあるだろうか?

そしてそのペットが死んだことはあるだろうか?

 

私が言いたいのはそう。ペットの死≒vtuberの彼氏彼女

 

ということである。

 

冷徹に考えよう。

 

ペットは所詮肉塊である。

そして、自分の遺伝子を残せる対象でもない。

その点で、なんの価値もないかわいい物である。

 

vtuberはどうだろうか?

所詮配信上の人格である。

そして、自分の遺伝子を残せる対象でもない。

同じくなんの価値もないかわいい(かっこいい)物である。

 

では、vtuberオタクを批判する人はペットのことを肉塊と呼ぶのだろうか?いや呼ばない(反語)

 

しかしその方向性が異なることは提示しておこう。

思うにペットは疑似子育て。vtuberは疑似恋愛なのだろう。

 

それ故に死≒子育ての失敗であり、彼氏彼女≒恋愛の失敗なのである。

 

疑似だとしても生物にとって大事な行為に失敗したのだ。

死≒彼氏彼女は成り立つ。

 

一応改めていうが、ペットもvtuberもあくまで「疑似」である。

 

息子が死んで自殺する親には共感できても、ペットの死で自殺する人には流石に重すぎでは?となってしまう。

それはvtuberでも同じだろう。

 

まとめに入る。

 

もしこれからvtuberオタクの発狂を見たら、

 

ああ、ペットが死んだ気分なんだなぁ。

 

生暖かい目で見守ってほしい。

 

そしてオタク本人は

 

まぁいうても疑似だからな。

 

暫くしたら諦めてほしい。

 

 

以上