Z世代は勉強する意味ない
この記事は「年商20億イケメン社長が語る。勉強は意味ない」
の続きである。が、前編を見なくても微塵も問題はない。
というわけで、学校勉強が無意味化している理由を考察していく。
最初にするのは、学校勉強の定義付けだ。
私は学校勉強とは画一的で、学問的な学習なのではないかと考える。
ここで言う学問的とは、未知のものを知ろうとして、論理を積み上げていく特性を持つものと考える。
次に、現在の社会で求められる能力を考えていく。
そもそも求められる能力とはなんだろうか?
それは問題解決に必要な要素である。
では、現代社会の最大問題とはなんだろうか。
それは大きく、環境問題と差別問題と捉えられるだろう。まずは環境問題だ。
21世紀に入り、人類は地球上のほぼすべてのリソースを使えるようになった。
しかし、それは即ちこれ以上拡大の余地がないことを表す。
ここから言えるのは、今あるものを新しい側面から使う能力が必要だと言うことだ。
差別問題も取り上げよう。
まず差別とは何か、それはグループの特性で個人の特性を予測することだ。
例えば
日本人は静かな人が多い→田中くんは静か
女性は筋力が弱い人が多い→吉田沙保里は弱い
このようにグループの例外を無視して個人を予想することが差別と言える。
これを解決する能力とはつまり、偏見を持たず、新しい人材(リソース)を発掘する能力といえる。
つまり、現代社会に求められる能力とは、既にある物への再利用力、多面的な思考力である。
これに対し、現在の学校勉強は画一的で一面的だ。
いかに賢かろうと、高度な計算だろうと、それをぶつける相手はもう地球にないのである。
このような理由から、Z世代は学校勉強をしている場合ではない。
私は決して努力を否定する訳では無いが、その方向性には気を付ける必要があるだろう。